2012年5月7日月曜日

こんにちは、赤ちゃん!



4月26日に女の子が産まれました!!!!


予定日よりも2週間早く、帝王切開になってしまったけれども、体重およそ2700g。

未熟児扱いにならず、髪も、筆が3本ぐらい作れるんじゃないかと思うほどふさふさ!
地蔵菩薩のような我が子とご対面したのは、手術開始からわずか10分の事。



手術日からはもう、衝撃の連続で、怒涛の日々でした。
特にすごかった衝撃を3つ、忘れないように書いておこうと思います。


衝撃①

【手術日の夜はひとりホラーハウス。】


痛み止めを背中の管からいれてもらっているものの、傷が痛いのと、後陣痛(子宮の収縮)のダブルで痛いのと起き上がれないのと、尿管気持ち悪い・・・

ゆえに一睡も出来ず、でっかいクマの出現と共にやってくるニッポンの夜明け・・・

夜中じゅう、「苦しい、痛い・・・」をすすり泣いて、この時ばかりは「もうこどもなんて産まない!」って思ってしまったけど、

朝開口一番に看護士さんに行った言葉は「お腹すいた・・・」

1日半以上ものを食べないなんて無理無理無理無理。ダメージダメージ。

衝撃②

【隣の分娩室。】

産まれた翌日は点滴、背中に管、尿管はいりっぱなしのふらふら状態で歩いて20m先の授乳室へ。なんとかたどり着いたものの
しかし、途中で立っていられなくなり、けっきょく車椅子での移動に。

一昨日まで健常者だったのに・・・なんだこの落差。

授乳室についたら、母乳はでないがとにかく吸わせる。
最初はでずに、となりの出のいいお母さんを横目にいいなあとつぶやいてみる。

すると、となりからすごい絶叫やうめき声が聞こえてきた

「死ぬうううううううぅぅぅ」とか
「痛いぃぃぃぃぃぃ」とか

北斗の拳かジョジョとかでしか聞いた事のないセリフが!

隣はカーテン隔てて分娩室。

「自然分娩まじこわい・・・」

経験してないカイザーの佐藤さん(帝王切開の人はスタッフ間でこう呼ばれる)はガクブル。

でもそのすぐあとに「おめでとうございますー」なんて聞こえると
授乳室じゅうのお母さん達が「良かった、良かった、おつかれさま」といい、ほっとした空気が流れる。

そうして次に授乳室を訪れる頃には小さなベッドが増えているのだ。

ちなみに今回帝王切開で前回自然分娩、両方をこの病院で経験したお母さんに、どっちが楽か聞いてみた。

返答は

「いや、どっちにしろツライですね・・・」と苦笑い。

どんな手段にしろお産は大変だ。ということです。



衝撃③

【そうして突然「母」となる。】


胎盤がはがれると、とたんに母乳出せの指令が体をめぐるらしい。

こんな貧乳だし、ほんとに母乳なんぞでるのかな?と思ったけれど



手術の3日後には、突然胸に鉄のパットがはいったかと思うくらいカチカチに!

「でた!おっぱい一夜城」

サイズが2サイズくらいあがったんじゃなかろうか、熱まででて、もはや腹の傷のことを忘れるほど痛くなった。

助産師さんにみせたら、「おおーすごい張ってきましたねーマッサージしましょう」


授乳室、たくさんのママがいる前で、胸を揉みしだかれ

「ぎゃあああああああああああああ」

「ごめんね、痛いね、我慢してね・・・」

「痛いです、ほんと痛いです・・・えーん」

公開処刑か!


と思うほど、痛くて泣いた。



その日から3日間、胸専用の氷みたいなので、冷やし続け、夜中のマッサージ。
最後のマッサージでは、ビームがでて
退院の頃には「素晴らしいおっぱいの持ち主」といわれるまでに。

しかし、吸いづらい私の胸は、傷だらけのローラ。
依然飲んでもらうたびに激痛なのだった・・・


* * * * *



とまあ、痛いことだらけの入院生活だったけれども、
痛みをかみしめる間もなく、次から次へと新しい大変な事が発生するため、どんだけ痛かったのか思い出せない。

実は開腹手術は2度目で10年前同じ場所を切った。
でも何も生まれない手術と、生命が誕生する手術ではまったく違う。

痛い以上の大きな感動。この子を守らなきゃ、育てなきゃという使命感があって、
回復力も全然違うのには驚いた。(前回、翌日立ち上がることさえ出来なかった。)

出産って、大変だけど、女でしか味わえないすごい経験だなとあらためて思う。



それから何の問題もなく、無事に生まれてきた我が子に感謝したい。

多くの方が子が出来ない事に悩む中で、そもそも子どもを授かる事体ありがたいことで、
多くの人が流産や異常な妊娠をして、大変な思いをするなかで、私はたいした問題なく、お産の1ヶ月前まで働くことができ、

お産だって(帝王切開は、自然分娩以外なので異常な分娩と母子手帳には書かれてしまうけれども)むしろ計画的で、心配性の私や家族にはむしろ安心安全な方法だった。


同じ部屋のお母さんの子どもは、重度の障害をもって生まれてきたようで、1日泣き続けていたけれども、出産後も子に異常もなく、妊娠出産時期、わたしはとても幸運だったと思う。





支えてくれた皆さん、応援してくれたみなさん、
本当にありがとうございました!

さて、これからはじまる長い長い子育て時期、楽しく、頑張ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿